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大正時代と変わらないワーキングマザーの想い

朝のNHK連ドラを見るのは、”花子とアン"が初めて。基本的にドラマは見ないのですが、今回は、フィクションとはいえ「赤毛のアン」翻訳者である村岡花子さんの生涯を概ね事実に基づいて描いたドラマでもあり、興味を持って思わず見始めてしまいました。

見ていて最近感じるのが、大正時代から100年経っても変わらない、ワーキングマザーの想いです。昨日は花子が、1人息子を病で亡くす場面。本も読んでいたのでこの日が来ることはわかってはいたものの、気持ちがわかりすぎる場面でした。海に行きたがっていたのに、行く約束をしていたのに、仕事が終わらなくて仕事を優先してしまった花子の後悔。こんなに別れが早く来るなら、仕事なんてしないでもっと一緒にいてあげれば良かったという想い。

私も次男が5歳の時、突然熱性けいれんをおこし、救急車ですぐ病院に連れて行ったものの、その後2時間近く普通の状態に戻らなかった、という恐ろしい経験をしたことがあります。しっかりと目をあけて、動作もできてはいるものの、焦点が定まらずぼーっとした様子で一言も話さなくなった次男と2人で過ごしたあの長かった2時間の間に私が考えた事は、花子と全く同じだったのです。もしこのまま戻らなかったらどうしようという想いと共に、行きたいと言っていたあの場所にどうして行かなかったのか、うるさいなんて思わずにもっとたくさんお話をすれば良かった、どうして仕事のために保育園に入れたのか、等等。。。。

私の場合は本当に幸いにして次男が元通り元気になってくれたので何よりだったのですが、子どもと仕事、どちらも大切でどちらかを軽視しているなんていうことは決してないのに、ないからゆえ、常にジレンンマに悩まされる女性達の想いは、国境や世代を超えて共通しているのだなと感じた朝でした。

〜ブラックバーン校長スピーチの引用〜

Life must improve as it takes its course.

Your youth you spend in preparation because the best things are never in the past, but in the future.

I hope that you pursue life, and hold onto your hope and your dream until the very end of the journey.

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