宮川先生追悼

宮川先生。突然の悲報を、信じる事ができなかった。きっと悪い冗談だと思いたかった。今日はエイプリルフールだったかな。きっとどこかの国の文化で、エイプリルフールなのかもしれない。宮川先生ならそんな遊びがきっと好きだから。どうしてこんなに突然に、逝ってしまったのか。ゴールデンウィークも通常の授業があるとメールが来ていたばかりだったのに。

宮川先生は、私が小学生だった頃に通っていた、国語作文研究所の所長、私にとっては先生である。母に連れられて行ったこの教室で、おとなしかった私に”こういう子がここへきて一番伸びるんです。”と言ってくれた。基本は作文を書く教室だけれども、自由な場所だった。先生の面白い話を一通り聞いた後は、ソファーにひっくり返っても、床に座っても、何をしても怒られる事は無く、そこで自分の感じた事を書けば良かった。学校で求められる”優等生作文”はここでは求められない。求められるのは、深い洞察である。ある日の題材は、”白菜”だったりする。ホワイトボードにただ”白菜”と書かれて、書け、と。白菜について、一体原稿用紙に何を書けというのであろうか。でも、小学生だからこそできた柔軟な発想が、あの頃はあった気がする。学校では面倒なことが色々あるけれど、そんな狭い世界で生きるのではなくもっともっと大きな世界で生きていいんだ。小学生でもそんなことを感じられる、特別な場所だった。

教室をやめてからはしばらく、20年もの間連絡を取っていなかったが、先生はその間新聞、雑誌、テレビで随分と活躍するようになっていて、かなりの有名人になっていた。

長男が1年生になった5年前、長男を連れて久々に教室を訪れた。先生は有名になって変わってしまったのではないかと心配したけれど、宮川先生は昔のままだった。こどもを連れてきた私を見て、もう孫ができたか!と大層喜んでくれて、私が戻れる場所がまだ変わっていなかった事が本当に嬉しかった。

長男が教室に通うようになり、ここ数年は教室に行くたびに顔を合わせてたわいもない話をした。英語のシンポジウムも一緒にやろうと計画していた。それなのに。。。。。

最後にお会いしたのは、写真のアフガニスタン晩餐会。次回はケネディ大使を招いての晩餐会にすると言っていた先生。長男と出席するのを楽しみにしていたのに。先生が書いたアフガニスタン大使へのお礼状を、私が翻訳したのが、先生とご一緒した最後の仕事になってしまった。まだまだ、これからたくさん一緒にやりたいことがあったのに。いつも活動的だった宮川先生、きっとやり残した事を今もやっているに違いない。

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